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November , 2017
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山本小鉄さんの思い出

2013年9月2日(月)10時39分更新
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8月28日は2010年に亡くなった山本小鉄さんの命日。

 

小鉄さんは日本プロレスの若手時代には東京スポーツの現場記者が毎日、表彰していた「東スポ賞」の最多受賞者だった。先輩記者から「若い時から、何事も真剣で凝り性。とことんやりぬく男だった」と何度も聞かされた。

 そして、新日本プロレスでは鬼軍曹としてストロングスタイルを守り抜いた。妥協を許さない厳しさ、激しい闘争心で、若手選手が気の抜けた試合をすれば「前座だって新日の試合なんだ! 下手な試合をすれば猪木さんに恥をかかす事になるんだぞ!」と竹刀でボコボコにしていた。

 小鉄さんの愛車キャデラックのエンジン音が聞こえると、道場にいる選手は一瞬にして緊張した。前田日明も高田延彦も直立不動になった。あまりの厳しさに、道場の裏にある白樺の木を小鉄さんに見立て、包丁を何度も突き刺す者もいた。

 他人にも厳しいが自分にも厳しい。引退した後も練習を欠かさず、まさにストロングスタイルの象徴だった。「引退して30年も経つけど、練習しているからいつでもリングに立てるよ」と胸を張っていた。

 厳しいだけではなく、優しく愛嬌のある人だった。新人記者やちびっこファンにも決して横柄な態度を取らず、常に丁寧な口調で接してくれた。学校をさぼって観戦に来ているファンを見つけると「僕は貧しくて、行きたくても学校に行けなかったの。あなたは学校に行かしてもらえるんだから、感謝しなくちゃダメだよ。だから休んだりしたらいけないよ。見に来てくれるのは嬉しいけど、学校休んでプロレスを見に来たら、プロレスが悪いって事になっちゃうの。だからファンなら休んで来たらいけないんだよ」。教え上手な小鉄さんは優しく諭していた。

 新日プロのライオンマークのデザインを考えた時は「絵は上手く書けないから、ネコみたいになっちゃってねぇ」と頭をかいた。

 トレードマークのスキンヘッドは、アメリカでの悪党修行で、床屋さんに行っても散髪を拒否され、仕方なく坊主にしたのが最初だ。「慣れれば楽」とカミソリでチャチャッと手際よく剃る様を見て驚いていたら「柴田さんも剃る? それとも取る? フフフ」と茶目っ気たっぷりに笑った。

 髪の毛の代わりに眉毛のお手入れに気を使っていた。下から上に眉ブラシで整えていた。「この方が威厳が出るだろ」とニンマリしていた。
愛妻家としても知られ、大変な子煩悩でもあった。「女房とは今でも手をつないで寝ているよ。娘が生まれて今日で1万何日、孫が生まれて今日で何日」など、良き夫、良き父、そしてよきおじいちゃんであった。

 奥さんが学生時代に知り合って、その後、卒業するまで学費を小鉄さんが負担したそうだ。「女房になる人だからね、当たり前」。

 藤波辰爾が夫人にプロポーズしたのは小鉄さんの家の電話からだった。「好きなくせに何だかハッキリしないから、もどかしくてね。うちで酒飲ませて言わせたの。僕がキューピットかな、アハハ。でもその時は結婚して下さいじゃなくて3年間待ってくださいって言ってたけど。まあ、めでたくゴールインして良かった」。面倒見の良い小鉄さんであった。

 思い出は本当に尽きない。