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September , 2017
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過激な仕掛け人 新間寿氏

2014年1月10日(金)10時33分更新
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仕掛け人は何人も存在するが、昭和のマット界を彩った人物として〝過激な仕掛人〟新間寿氏は外せない。

 

 

 全盛期の新日本プロレス営業本部長として活躍し「新間がいなければ、猪木はあそこまでなれなかった」と言われるほどの敏腕ぶりを発揮。「ある意味、選手よりも有名」と今でも語り草になることも多い。

 

 

 猪木と袂を分かった時期もあったが再会している。猪木、新間のゴールデンコンビが同席する光景に、藤原喜明は「これが見たかった」と涙を流したという。

 

 

 新間氏は昨年、古希を迎えた猪木よりも年上で歳。しかし相変わらず眼光鋭く、威厳もあり貫禄もたっぷりだ。

 

 

 リング上からの挨拶が恒例だった。さすがご実家がお寺さんだけあって講和というか、お話が上手だった。「昔、武田信玄が・・・」などと、数々の名調子を残している。

 

 

 昔のマイクは必ず長いコードがついており、そのコードをうまくさばきながら、リングの四方向を見据えて語りかけたが「回転木馬式挨拶」と評された。ちびっ子ファンからは「学校の先生の話より、新間さんの話の方がずっと面白い」などと大好評だった。

 

 

 過激な仕掛け人は挨拶も過激そのもの。「無事是名馬と申しますが、片足上げるだけの試合を続けていて、何の闘いがありますでしょうか。猪木は満身創痍。そこには闘いがあるからです」など、ライバル団体に鋭い批判を繰り広げ新日ファンから喝采を浴びた。

 

 

 プロレス団体、数あれど、ヤジにしろ行動にしろ、一番過激なのは新日ファンだろう。それは新間氏が作り上げた伝統ではないだろうか。

 

 

 新間氏が初めて大日本プロレスを観戦に訪れた際には、登坂栄児社長が、リング上から「自分が憧れている偉大な関係者が、ご縁あって本日、初めて来て下さった」と新間氏を紹介すると、後楽園ホールがどよめいた。平成の今でも新間氏は強烈な存在なのだ。

 

 

 華麗な空中殺法、派手なパフォーマンス。プロレスは進化した。新間氏の方法論は時代の流れに逆らっているのかも知れない。だが「闘いがない」という声が聞かれるのも事実。時にはプロレス史を紐解くのもいいだろう。