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August , 2017
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ドクター林の健康トラの穴 番外編 「あぁ、懐かしの昭和プロレス 1」

2014年5月23日(金)06時00分更新
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記憶があまり定かではありませんが、プロレスの思い出話を書いてみようと思います。

私がプロレスを好きになったのは小学生の頃、力道山の全盛期でした。

終戦後14,5年たっており日本経済も立ち直りを見せ始めていましたが、まだ日本人の心には〝敗戦〟という傷痕と〝欧米への憧れ〟がごちゃ混ぜになっていた時代でした。

プロレスを見始めた当時は、「日本人対外人」という構図がはっきりしていました。

「外人はヒールでありそれを力道山が空手チョップを奮って叩きのめす」その勧善懲悪のパターンは、戦争に敗れた屈辱冷めやらぬ日本人の心の鬱憤を一気に晴らしてくれたものでした。

タッグマッチでは、力道山のパートナーが外人コンビにやられて必死にコーナーに戻ろうとするのを、そうはさせじと外人が捕まえてまた蹂躙するのです。

必死の思いで力道山に助けを求めるパートナー。それを見かねた力道山がリング内に入ろうとするとタッチしていない、とばかりレフリーが阻止します。

その間にもパートナーは外人の猛攻撃を受けてダウン寸前、その繰り返しを見ていた観客のフラストレーションが溜まりに溜まったっていきます。

そして、最後の力を振り絞って外人の攻撃から逃れたパートナーが力道山にタッチ。

そうするやいなやリング内に飛び込んだ力道山は怒涛のように空手チョップの雨あられ、外人二人を戦意喪失に追い込むのです。

最後にはロープに振って「60kmで走行している車に衝突したと同じくらいの破壊力」と言われた力道山の逆水平です。

これを食らった選手は意識を失うほどのダメージを受けて、3カウント入ったのちも当分起き上がれない状態になったものでした。

観客は狂喜乱舞、敗戦の悔しさと欧米へのコンプレックスを一気に跳ね除けてくれた瞬間でした。

このように時代の背景があったこともさることながら、空手チョップという日本人好みの技だけで一世を風靡して、日本に〝プロレス〟という伝統芸能らしきスポーツを根付かせ開花させてくれたことは偉業と思われます。

それから、その後半世紀以上にわたって新しいスターが生まれその時代にあった新しいプロレスが展開されてゆきました。

私はプロレスのファンとして20数年、30歳代後半で全日本女子プロレスのリングドクターになってからはファンというより仕事としてプロレスを見てきました。

ただのフアンとしてプロレスを見ていたころが懐かしくその頃の思い出話をしたくなったのは年を取ったせいだけでしょうか。

 

 

 

 

本名 林 雅之

1949生

千葉市出身

秋田大学医学部卒業

現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長

内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして

東京都テコンドー協会会長

新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている

メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている

ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。

 

著書 

ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)

  リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)

  脳で感じるセックス入門(扶桑社)

  など20数冊

 

新聞連載

  日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室

 

ラジオ 

  かつしかFM ドクター林の健康げらげらクリニック(水曜日20:00~21:00)