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May , 2018
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ドクター林の健康トラの穴 番外編 「あぁ、懐かしの昭和プロレス 6」

2014年7月10日(木)06時30分更新
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プロレスの黎明期から一ファンとして見続けていましたが、次々来日する外人選手はみな身体が大きく、いかにも強そうな印象を与える選手ばかりでした。

迎え撃つ日本人選手は外人に比べて身体が小さく、やられるのを冷や冷やしながら見ていました。

あるとき、テレビに大きな日本人選手が試合をしているのが映し出されていました。

馬場とマンモス鈴木、身体の大きな二人の選手の出現にとても頼もしく感じたものでした。

マンモス鈴木は身体中毛だらけでいかにも強そうな印象を与え、そのパンチは迫力十分でした。

馬場はそれ以上に身長が高く細身でしたが、絡みつく長い手足に十分外人と渡り合える安心感を与えてくれました。

そして同じころテレビに映り始めたのは猪木と大木金太郎です。

猪木のテクニックとドロップキック、大木金太郎の頭突きは威力があり、この4人がいればもう安心、どんな外人にも太刀打ちできると信頼感と安心を覚えたものでした。

マンモス鈴木と馬場はアメリカに修行に出てゆきました。

しかし一足早く帰国したマンモス鈴木はなぜだかあまりパットせず、いつの間にかブラウン管から消えてしまいました。

その後国際プロレスでレフリーをしていましたが、50歳の若さで亡くなったそうです。

一方馬場はアメリカ遠征においてもメジャーなテリトリーでメインエベンターに成長し数々のタイトルに挑戦しました。

一旦はNWA世界ヘビー級のベルトを巻く活躍を見せ、その後帰国し出場したワールドリーグ戦ではスケールの大きなアメリカンプロレスのスタイルで当時の一流外人選手とも互角に戦い、好成績を残しアメリカ武者修行の成果を存分にアピールしました。

力道山の死後は、豊登とのタッグでアジアタッグ王座を獲得、二枚看板で日本のプロレスを支えることになりました。

その後、電話帳を引き破ったりビールの栓を指で抜いたりというパフォーマンスをし、「生傷男」の異名をとる喧嘩ファイトのディック・ザ・ブルーザーと戦いました。

「この試合にどんなことがあっても耐えてゆく」と言った通り、耐え抜いて反則勝ちを収めインターナショナル・ヘビー級王座を獲得し、後日同選手相手に初防衛を果たし、名実ともに日本プロレスのエースになりました。

一ファンとしてもこれでプロレスを安心して見ていられるという安堵感に浸ったものでした。

Dr.hayashi

 

 

 

 

本名 林 雅之

1949生

千葉市出身

秋田大学医学部卒業

現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長

内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして

東京都テコンドー協会会長

新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている

メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている

ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。

 

著書 

ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)

  リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)

  脳で感じるセックス入門(扶桑社)

  など20数冊

 

新聞連載

  日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室

 

ラジオ 

  かつしかFM ドクター林の健康げらげらクリニック(水曜日20:00~21:00)