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October , 2017
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ドクター林の健康トラの穴 番外編 「あぁ、懐かしの昭和プロレス 7 ~ジャイアント馬場登場!~」

2014年7月17日(木)06時30分更新
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昭和の時代に活躍をしたレスラーはそれぞれ個性を持ったレスラーばかりでした。何か一つ優れた特徴があり、それだけで十分観衆を魅了してくれました。

1960年代に日本で活躍したレスラーの一人にブルーノ・サンマルチノという選手がいました。

長年に亘ってニューヨークにあるマジソンスクエア・ガーデンに出場したことから「MSGの帝王」と呼ばれ、無類の怪力を誇り「人間発電所」の異名をもった選手でした。

1967年に初来日して以来、ジャイアント馬場との抗争を繰り広げました。

無類の怪力からのサバ折は、豊登以上の迫力がありそれだけでギブアップを取るに十分な技でした。

来日早々の馬場との試合で馬場がサバ折にギブアップしたことがありました。翌日の東スポ1面の見出しは「馬場感電死!」だったことを覚えてます。

思えば、当時東スポは10円の時代でした。

プロレスがいつも1面に掲載されており、日替わりのセンセーショナルな見出しに心踊らされ、学校帰りに駅の売店で毎日買って読むのを楽しみにしていました。

「馬場感電死」の見出しを見たときにも「ああ馬場はサンマルチノに負けたんだな」とすぐに思いました。

当日長野から親戚の者が我が家に来ることになっていました。途中の電車の中で人の読んでいる東スポに上記の見出しを見たようで我が家に着くなり「馬場は本当に死んだのか?」とマジ顔で尋ねられました。

「いやいや、相手が怪力で人間発電所とあだ名がある選手だから、それに負けたから見出しにあんな言葉を使ったんだよ」と教えてあげました。

それを聞いた田舎のオジサン「あ~そうか、いや~頼りにしとるもんで」とほっと安堵の表情を浮かべていました。そうです、当時日本中がジャイアント馬場を頼りにしていたのです。

大型の日本人選手がおらずいつも体格、体力的に外人選手に劣っており勧善懲悪にも説得力がなく試合を安心して見ていられませんでした。

そこにアメリカ帰りで颯爽と現れたジャイアント馬場、高すぎる身長、長い手足、外人選手に勝るとも劣らないその体格を誰しも大きな期待を持って眺めていたに違いありません。

力道山にはじまった日本のプロレスの新たな黄金時代がここに幕を開けました

 

Dr.hayashi

 

 

 

 

本名 林 雅之

1949生

千葉市出身

秋田大学医学部卒業

現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長

内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして

東京都テコンドー協会会長

新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている

メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている

ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。

 

著書 

ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)

  リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)

  脳で感じるセックス入門(扶桑社)

  など20数冊

 

新聞連載

  日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室

 

ラジオ 

  かつしかFM ドクター林の健康げらげらクリニック(水曜日20:00~21:00)