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October , 2017
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ドクター林の健康トラの穴 番外編 「あぁ、懐かしの昭和プロレス 8 ~猪木のデビュー戦~」

2014年7月25日(金)06時00分更新
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ジャイアント馬場という当時日本人にとって大変頼りになるレスラーの出現により、安心してプロレス放送を見ることができました。

そしてその頃、他にも頼りがいのありそうな日本人選手がブラウン管に登場していました。

それが猪木寛至と大木金太郎選手でした。

猪木のデビュー戦はこの大木金太郎との戦いであり、テレビにはその鋭いドロップキックと頭突きの応酬が映し出されました。

大木選手の勝利だったと記憶していますが、また有望な大型の日本人選手が誕生したものだ、とその成長を楽しみにしていました。

猪木選手はブラジル出身だとか、一日中黙々と草を刈っていた生活で下半身が鍛えられたとか、何かに書かれてありました。

その後アメリカへの武者修行から帰ってから頭角を現し、ジャイアント馬場とのタッグはBI砲と呼ばれインターナショナルタッグ王座を獲得しました。

その後ワールドリーグ戦で初優勝しました。

その時の準優勝はクリス・マルコフという悪役の選手で、猪木にコブラツイストをかけられたとき、下にある腕で猪木の後ろから急所を殴ってほどくといううまい技術も見せてくれました。

試合後の表彰式で準優勝者としてカップが授与された時に「え、自分がこれをもらっていいの?」というように満面笑みを浮かべて受け取っていた顔を見たとき、あんな悪い選手がこんな笑顔で喜ぶものなのか、ほんとはいい人かも、と実に不思議な思いをしたことが今も忘れられません。

猪木はその後NWA王者のドリー・ファンク・Jr.に挑戦し60分フルタイム引き分けの試合をしました。

その時猪木は、指を2本骨折していて痛みどめを打って試合に臨んだそうです。

その記事を東スポで読んだ時に「骨折していたのにあのチャンピオンのドリーに負けることなく60分も戦ったんだ、なんてすごい男だ!」と感激しました。

この事実はその後の私の人生に多大な影響を与え、苦しいとき、辛い時にはこの猪木の骨折痛みどめの試合を思い出しては奮起したものでした。

時、大学受験浪人中の出来事でした。

その30年後に新日本プロレスのリングドクターになり猪木さんの血液検査をするようになろうとは夢にも思いませんでした。

Dr.hayashi

 

 

 

本名 林 雅之

1949生

千葉市出身

秋田大学医学部卒業

現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長

内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして

東京都テコンドー協会会長

新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている

メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている

ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。

 

著書 

ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)

  リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)

  脳で感じるセックス入門(扶桑社)

  など20数冊

 

新聞連載

  日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室

 

ラジオ 

  かつしかFM ドクター林の健康げらげらクリニック(水曜日20:00~21:00)