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August , 2017
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ドクター林の健康トラの穴 番外編 「懐かしの昭和プロレス12 ~プロレスへの情熱~」

2014年8月29日(金)12時00分更新
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ミル・マスカラスに憧れていた青春時代、1971年に初来日し猪木や馬場と対戦するのを見たのを最後に地方大学(秋田)へ進みました。

そこでは当時は東スポはありましたが、秋田に新聞が届くのはなんと一日遅れ。

テレビのゴールデンタイムでプロレスをやっていましたが、翌日にその結果を東スポで見ることができずイライラしたのを覚えています。

そのうちだんだんと勉強が忙しくなり、年令もあってかプロレスに対する以前のような情熱はなくなってきました。

貧乏学生であったためテレビも部屋になく、プロレスを見る機会もなくなってきました。

それでもマスカラス対ドリー・ファンク・ジュニアなどの試合があるとわかれば、遠く離れた病院の待合室などに出かけてゆきテレビをつけてもらい見ていました。

そういうこともだんだんしなくなり、プロレスを真剣に見ることもなくなってきました。

卒業するまでの数年間は一日遅れの東スポをたまに見るくらいだったため、この時期のプロレス界の様子はほとんどわかりません。

当時、秋田ではちょっとおしゃれなミニクラブという感じの葡萄家という飲み屋で飲んでいるとそこに当日新日本プロレス試合があったのか(それも知らなくなっていました)選手が数人で入ってきました。

坂口さん、木村健吾さん、荒川さん、当時大活躍していた人たちでした。

私のすぐそばに座ったため会話も聞き取ることができました。

両側に座った女性を横目で見る坂口さんの顔が印象的でした。

荒川さんがホステスに木村さんを指して「これは将来必ずチャンピオンになりますよ」と一生懸命話しかけていました。

その後の記憶はありませんが確かに木村健吾さん数年後チャンピオンになりました。

秋田で過ごした6年間は我ながらよく勉強したと思います。

プロレスへの情熱は失せていたとは言え、「プロレスは八百長だ」という友達とは激論を交わし喧嘩寸前になることがありました。

そんな時に別の友人が割って入ってこう言いました。

「プロレスが八百長じゃない、というのは林にたいする友情だぜ」

消えかけていた情熱が燃え上がりました。

Dr.hayashi

 

 

 

本名 林 雅之

1949生

千葉市出身

秋田大学医学部卒業

現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長

内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして

東京都テコンドー協会会長

新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている

メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている

ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。

 

著書 

ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)

  リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)

  脳で感じるセックス入門(扶桑社)

  など20数冊

 

新聞連載

  日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室

 

ラジオ 

  かつしかFM ドクター林の健康げらげらクリニック(水曜日20:00~21:00)