ドクター林の健康トラの穴 番外編 「懐かしの昭和プロレス14 ~全日本女子プロレス①~」
1976年に大学を卒業して研修医を経て駆け出しの内科医として数年間は忙しい日々を送っていました。
当時唯一の楽しみは仕事帰りの電車の中で東スポを読むことでした。
忙しくて足を運べなくなった会場でのプロレス観戦、テレビでの観戦もままならなくなっていましたので、新聞を読んでは試合の様子を想像して一人興奮していました。
1時間弱の帰宅途中の電車の中で東スポをあらかた読破すると降りる頃には指がまっ黒、所々赤くなっていました。
まだ読み切れていないため自宅に持って帰り寝る前に残りの記事を読んだものでした。
1984年に勤務していた病院を退職し開業しました。
開業当初は外出もあまりせずに夜でも患者さんが来れば診るような生活をしていましたが、東スポだけは欠かさず駅まで買いに行って読んでいました。
多忙な中での至福のひと時はやはり東スポを読む時間でした。
東スポの記事に没頭することでプロレスばかりでなく、野球など他のスポーツのことを知り、世の中のことを学び、医療の記事で勉強し、そして何よりもピンク欄は他社に追随を許さないほどの充実した内容であり時の経つのも忘れて読み耽りました。
そんな生活をして4年が経過した頃、全日本女子プロレスのドクターをやらないかという話が舞い込みました。
女子プロレスは時々テレビで見ることもありましたが、飛んだり跳ねたり面白いのですがやはり迫力という点においては男子に勝るものではなく、またレスラーに憧れるというものでもなかったため男子プロレスほどの興味を持っては見ていませんでした。
事実東スポでは女子プロレスに関する記事を見たことがなく、まただんだんプロレスに関する記事が1面を飾らなくなり、芸能記事などに取って代わられてきたことを寂しく思っていた頃のことでした。
しかし同じプロレスというジャンルのスポーツ、一も二もなく引き受けたことは言うまでもありません。
こうして1988年全日本女子プロレスコミッションドクターとしてプロレス業界の中での仕事が始まりました。
本名 林 雅之
1949生
千葉市出身
秋田大学医学部卒業
現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長
内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして
東京都テコンドー協会会長
新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている
メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている
ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。
著書
ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)
リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)
脳で感じるセックス入門(扶桑社)
など20数冊
新聞連載
日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室
ラジオ
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