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October , 2017
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ドクター林の健康トラの穴 「1995年 北朝鮮『平和の祭典』の思い出」3

2014年11月10日(月)11時00分更新
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プロレスの試合は4月28日と29日の2日間に亘って「綾羅島メーデースタジアム」というところで行われました。

前日にその会場でマスゲームを披露してくれましたが、それはそれは一糸乱れず芸術と言えるほどのものでした。

日本であれば一人くらい遅れたり間違ったりするものがいるだろうに、よほど厳しい訓練と恐ろしいペナルティを課せられているのではないかと思えるほどでした。

会場の設営などの準備をしていたと思われる若者たちは長くきつい準備のためか会場の隅のほうで折り重なって眠っている姿が見られました。

日本人では考えられないような寝姿、ほんとに重なって眠っていました。

一日目の試合は観衆15万人、どこからこんなに来たのかと思えるほどの人たちで会場は溢れていました。

後で聞いたところによると遠路はるばる5時間も歩いて来た人たちもいたとのことでした。

プロレスのプの字も知らない人たちがたくさん見に来た、というよりも動員されて来ていたということでしょう。

試合は女子の試合一つを挟み7試合行われました。私はリングサイドで見ていましたが北朝鮮の人たちが会場内でタバコを、しかもきつそうなタバコをあちこちで吸っていたのには閉口しました。

試合が始まって寝技の時など前のほうに座っているお客はカメラマンで見えなくなると座れ座れ、どけどけ、と騒ぐのです。

それにはカメラマンも負けてはいませんでした、NO! NO!と言って絶対いうことを聞きませんでした。こちらも一触即発という雰囲気でした。

大谷晋二郎とスコーピオの試合で大谷選手が鼻から出血し病院送りとなりました。

そらく鼻骨骨折と思われましたが運ばれた病院で一晩入院となりました。

後で聞いた話ですが、その病院では広い病室に一人寝かされ入れ替わり立ち代わり誰か入ってきては〝にやり〟と笑って出ていくのを恐怖に感じたそうです。

日本に帰ってからきちんと鼻骨を修復してもらいました。

メインエベントの「橋本信也対スコット・ノートン」の試合後、ノートンが気持ちが悪いと言い出したので早めに会場を出てタクシーでホテルまで付き添いました。

あのころのノートンは別格でホテルの部屋も立派なスイートでした。

気持ち悪い原因は不明でしたが、特に問題なくストレスなど心因性のものと思われ意外と気が弱いところがあるのかも、と思った記憶があります。

Dr.hayashi

 

 

 

本名 林 雅之

1949生

千葉市出身

秋田大学医学部卒業

現在 医療法人社団祐光会理事長 弘邦医院院長

内科医として地域医療に従事する傍らスポーツドクターとして

東京都テコンドー協会会長

新日本プロレス 全日本プロレス ゼロワンなど各プロレス団体のリングドクターを務めている

メディカルエンターテナーとして「笑いと健康」をテーマにライブ活動を各地で行っている

ED治療に関しては日本での第一人者であり「男力復活」に取り組んでいる。

 

著書 

ガンやリウマチに効果のある免疫療法(本の泉社)

  リングドクターが見たプロレスラーの秘密(三一書房)

  脳で感じるセックス入門(扶桑社)

  など20数冊

 

新聞連載

  日刊ゲンダイ(関西版) ドクター林の性の相談室

 

ラジオ 

  かつしかFM ドクター林の健康げらげらクリニック(水曜日20:00~21:00)